真宗大谷派(東本願寺)慧照寺

慧照寺の沿革

一方、市街化調整区域のため寺院の建築許可がなかなか下りず、平成4年12月に許可となり、平成5年3月に北海道教務所へ教化施設の申請を提出し了承頂く。当時、バブル崩壊などの厳しい社会情況にありやむなく工事を中断。平成12年工事を再開し翌、平成13年に建築申請が下り同年、第1回門徒総会を開き仏具懇志を頂くこととなる。金沢、野々市のキタムラ仏壇店社長、北村昭男氏の御好意もあり、平成14年12月ほぼ全ての仏具を納入。同時に石狩支庁、真宗大谷派より認可を受け、長年の夢、親鸞聖人の開顕せられた本願念仏の道場たる宗教法人 慧照寺を創建。

開基住職、建立直後かねてから自身の身体の異変を診察してもらうと不治の病と判明。病を聞いた第2世 量慧はそれまで4年勤めていた大阪 門真市 願得寺を退職、平成15年4月慧照寺に戻る。その間、平成14年春に大谷大学を卒業した次男 量照が法務に従事、開基住職入院後も札幌、歌志内と走り回る。住職就任半年にして平成15年6月19日 還淨。慧照寺初の行事が開基住職の葬儀となる。翌年、第1回報恩講並びに開基住職1周忌法要、第2世襲職法要を厳修し現在に至る。