真宗大谷派(東本願寺)慧照寺

慧照寺の沿革

【 手探りで始まった報恩講 】

現住職・野原量慧

北海道の夏が始まる七月下旬、慧照寺では九回目となる報恩講が勤まりました。
「寺としてやっと小学生になったところなの!」ご門徒さんはうれしそうにお話ししてくださいました。
札幌市南区澄川にある慧照寺は、前住職である故・野原和悦氏の強い願いにより建てられた新しいお寺です。空手で身体を鍛えられ、熱血漢でもあった前住職は、ご門徒さんと共にこの地で教えを聞いていきたいと二十五年前に慧照寺の建立を決意されました。その後、工事が中断するなどの苦労もありましたが、二〇〇二年十二月、ついに真宗寺院としての歩みをスタートさせることができました。

しかしその半年後、前住職は体調を崩され亡くなられたのです。皆で勤める報恩講をとても楽しみにされていたそうです。

「これからでした。本当にこれから寺の活動が始まるという時に大きな柱を失いました。悲しいし、くやしい思いでいっぱいでした。だけどね、だからこそまだ若かった今の住職と一緒に寺を守っていこうって、皆が一つになれたのだと思います」とご門徒さんは振り返ります。
悲しみの中で迎えた初めての報恩講のことは、今でも忘れられないそうです。
「何もかも初めてだから、勉強のために他の寺院にお参りに行きました。仏具も揃っていないから遠くまで借りに行ったり、幕の張り方で四苦八苦したり。でも、私たちの寺の報恩講を勤めるのだという気持ちだけで、もう無我夢中でした。無事に終えられた時の感動は、今でも胸に残っています」。